なぜ労働者協同組合か 行政の『安上がり』受け皿の危険―「協同労働の協同組合」法制化市民集会に参加して

上田仁2008/09/17
歴史の浅い労協運動が、政府の新自由主義政策という舞台を得て、その経営・専門性に関する未熟性にも関わらず、運動として「発展してしまった」。労協は 「なぜ労働者協同組合でなくてはならないか」という存在意義の自己確認を求められている。『安上がり』の行政の受け皿として機能する危険性に留意する必要 はないか。

■「協同労働の協同組合」法制化運動について


9月13日、東京都千代田区の日本教育会館にて、「『協同労働の協同組合』法制化をめざす市民会議」の主催により、全国市民集会が開催されました。「協 同労働の協同組合」とは、働く人が自ら集まって出資し・集団経営と労働を行い、「仕事おこし」を通じて、ひいては地域貢献・社会貢献にもつなげようという 社会的起業の運動・経営である「労働者協同組合(労協 = ワーカーズコープ)や「ワーカーズコレクティブ」を意味します。

日本における協同組合としては、農協、生協、労働金庫などがその根拠法を持って協同組合経営されていますが、「協同労働の協同組合」「労働者協同組合」 は、起業の雇用に頼らない新しい働き方として注目を集めつつあるにも関わらず、その根拠法を持たないことから「協同労働の協同組合」法制化を求める運動が 活発化しつつあるものです。

筆者は、「労働法軽視『偽装経営者』の温床になるか?市民会議提案の労協法案を考える」との記事を書き、労協運動・法制化への期待とともに市民会議提案 の労協法案における労働者保護の軽視に懸念を表明したものですが、労協法制化運動の現状を知りたいと思い、今回の市民集会に参加、その様子をレポートいた します。


■会場の様子


会場となった日本教育会館の一ツ橋ホールに入ってみると、会場後方の席の4分の1程は各地の労協運動の取組みを示すパネルで仕切られ、着席できないよう になっていました。パネルの内容は、主に東京近郊での労働現場を紹介するもの。集会の最後に主催者より657人との参加者人数の発表がありました。会場は 定員882名の設備ですが、途中休憩時間の出入りを含め、おおよそのところ、発表どおりの人数であったようです。

会場を見渡すと、50~60代程度の方や、Tシャツ姿の若年層参加者が多く見受けられ、民間企業であれば経営の中心層であるはずの中堅年齢層が比較的少 なかったようです。これは、労協運動の中心的な存在である「ワーカーズコープ労協センター事業団」が高齢者事業や「氷河期世代」就労事業といった社会的弱 者に焦点をあてた運動に力を入れている反映かと思います。しかし、その一方ではまだ労協運動の到達点が、経営の中心となる年齢層を吸引するには至っていな いことを示していると感じました。


■来賓議員挨拶


集会は市民会議会長・笹森清氏(前・日本労働組合総連合会会長)の挨拶で始まる予定でしたが、笹森氏の到着が遅れ、来賓の小宮山洋子衆議院議員(民主党)及び田中康夫参議院議員(新党日本)の挨拶により集会が開始になりました。

小宮山氏挨拶は超党派で運動する「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟」の活動紹介でしたが、田中氏の挨拶では「永田町では季節外れの 夏祭り」と自民党を揶揄。挨拶は「人間の良心をもって生きる」「働くものの喜びを実現するための法制化をしよう」との訴えで締めくくられましたが、なにや ら若干の「ねじれ」を感じたのも事実です。ちなみに会場で配られました議員連盟名簿で党派別の人数を数えてみると、164名中、政権与党の自公で78名。 ここでは与野党逆転です。


■市民会議会長・笹森清氏挨拶


両議員挨拶中に笹森氏が到着され、「反・貧困」のバッジをつけて登壇。会長挨拶となりました。1996年の橋本内閣以来、12年間で7代もの内閣に推進 されてきた「構造改革」によって作られてきた格差社会ならぬ「貧困化社会」について語り、協同労働が「壊されてしまった日本社会で取り返さなくてはならな いことを取り返す働き方」と指摘。

かって小泉内閣によって語られた「官から民へ」との言葉について「短絡的な言葉で(官から民へ)移行された部分がどういう悲劇を生じるかコムスンで実証済み」とし、それに対して公的な仕事を請け負う民間セクターとしては協同労働が最適であるとしました。

さらに笹森氏は、連合会長を引退するまでの40年の労働組合運動の経験について語りながら、「労働組合運動の(成果たる労働法の)効果が波及しない労働 者をどう守るか、労働組合というガードのない現代の非正規雇用労働にどういうガードを作るかが問題」として、雇用されない働き方 = 協同労働に従事する働く人のためのガードが協同労働法の法制化であるとしつつ、「雇用されない働き方は(資本主義社会への挑戦であると同時に)労働組合運 動に対する挑戦であると指摘しました。

また、9月3日頃、法制化議連から法制局に対して条文の作成を申し込んでおり、「最後に我々の望む形のものになるかどうかわかりません」と留保を交じえつつ、9月20日頃までに法制局版の条文案が作成されるのではないかとの報告がありました。

市民会議の会長として、オブラートにつつんだ微妙な話であったとは思いますが、その意図するところは、「労働者保護の徹底を実施した上での労協法」とい うことであると感じました。昨年9月15日に行われた市民集会での笹森氏の挨拶と比較すると、労働者保護についての懸念が明らかかと感じます。


■法制化運動リレートーク


笹森氏の挨拶の後、各地の地方議員や労協の方から、地方議会における「『協同労働の協同組合』の速やかな制定を求める意見書」採択の動きの報告を中心に 「法制化運動リレートーク」が行われ、意見書採択をした大分県日田市の市議会議員・菅田敏幸氏からは、労協の事業所は「市に対して、自分たちで考え自分た ちで提案するのが、いままでの事業者とは違う」との労協と地方自治体の相互作用について評価する話がありました。

印象に残った講演として、岡村信秀氏(広島生活協同組合連合会 専務理事)と朝岡幸彦氏(東京農工大学大学院准教授)のものを挙げたいと思います。

広島生協連の岡村氏は、生協運動の経験を踏まえつつ、協同労働という「新しい働き方」への期待を語りましたが、そのうえで、「利用者のニーズをくみ上げ る能力」「ニーズを形として提案する専門性」「形にした企画の説得力」が「コミュニケーション労働」たる協同労働に必要と語り、「(協同)組合員のやりが いがなければ、業績はあがらない」、今後の労協運動では専門性・継続性・マネージメントを大事にした、運動と経営のバランスが必要としました。

また、東京農工大の朝岡氏は、時間が押している中で講演内容を端折った感じでしたが、法制化の大義について語りつつ、「地域おこし」とは指定管理者制度 に代表される自治体業務のアウトソーシングを単に受託したことに満足してはいけないとの指摘を行いました。「指定管理者に選定されたところでは、上手く いっているところもあれば、困っているところもある。いずれにせよ自治体業務の受託については、それを経験的にやっていくのではダメ。地域を知るためには 自治体財政の分析までを行い、地域に根ざしたコミュニティ・ワークとして、協同労働を行っていく必要がある」とのことです。

朝岡氏については、配布された資料の中に、別途「協同労働の共同研究と法制化への期待」との論文が含まれ、その中で労働者協同組合への期待が高まる背景 について、(1)新自由主義的構造改革政策が、指定管理者制度の自治体行政の民営化と不安定非正規雇用の増大をもたらしている (2)その中で「新しい働 き方」が公務労働の一部を担う可能性が広がっている (3)これは労協事業の広がりが、「安上がり」の行政の受け皿として機能する危険性を意味する、と指 摘しています。

なお、リレートークの後に、「わたしたちの『共同労働』物語」というパネルディスカッションが行われ、各地の共同労働の成功事例の発表が行われました。 トラブルや問題に直面した時、全員で納得するまで話し合いを行ったというのが共通点と感じました。時には話し合いの議事録に全員のサインを取るまでしたそ うです。「みんなが納得しなければ夢には届かない」「共同労働の原則に沿った働き方」との埼玉県の方の言葉が印象的でした。


■集会に参加して


全体として、各地域の労協活動家が地方議会に働きかける中で、国会での動きまで含めた法制化運動が波に乗っている、それはリレートークからも感じたところです。

パネルディスカッションの報告者が、法制化についての思いをモデレータから質問されたところ「一緒にやっていることが法律で認められるのが嬉しい」との 回答。筆者はその思いは大事なものだと思いながらも、活動家と議会に集中した運動が、各労協の労働現場と遊離していないか気にかかりました。

また、活動家の方や地方議員の方の報告に対して、労働組合、生協、研究者のそれぞれの立場から、法制化運動に賛同しつつも、現状の法案条文および労協運動について、問題点の冷静な指摘があったのは、これまで書いてきたとおりです。

参考資料として会場で配られたレジュメに、法案確定の上での3つの論点として「労働者性」「準則主義に基づく設立」「他の協同組合と同様の税制」と記載 されていました。このうち、「労働者性」と「準則主義に基づく設立」については、筆者も「市民会議提案の労協法案を考える」記事の中で懸念を表明した点で すが、市民集会の中では、特に明示的に触れられることはありませんでした。

生協等と比較して歴史の浅い労協運動が、政府の新自由主義政策という舞台を得て、その経営・専門性に関する未熟性にも関わらず、運動として、いわば「発 展してしまった」。その中で法制化の動きも活発化した。それは時代の要請ではありますが、その一方で、労協の側に対して、所与の時代条件に安住して事業高 を追い求めるのではなく、「なぜ労働者協同組合でなくてはならないか」との存在意義の自己確認を求めているものと思います。

特に、労協運動の中心的存在である「ワーカーズコープ労協センター事業団」が自治体の指定管理者選定獲得により事業高を拡大しようという動きを強めてい る時、笹森氏の「短絡的な言葉で(官から民へ)移行された部分がどういう悲劇を生じるかコムスンで実証済み」との指摘と朝岡氏の「労協事業の広がりが、 『安上がり』の行政の受け皿として機能する危険性を意味する」との指摘に鑑みて、特にその思いを強くするものです。

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