カテゴリー別アーカイブ: どこぞの掲示板

Re: 認識上の区別/労働過程の意味?

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/66

杉本 一平
2009年 1月 3日

> No.63[元記事へ]

hirohiroさんへのお返事です。

(中略)

伏見ボランティアセンターの件は、だから、労協なのに、労働者に資本を生産する賃労働(労働過程と価値増殖過程の統一)を強制して、協同組合労働の実現に反していると言う批判に立たなければならないと思うのです。王に対する臣下の振る舞いの強制ですよね。この観点に立てば、施設そのもの、労働規律そのものが、対象化された労働として(資本の化身=人格化)生きた労働を吸収支配する意志を持つことが見えてくると思うのです。
>工場のラインが労働者を規律づけているという意味
――貨幣が生産手段として、商品の生産で生きた労働を役だたせているのがラインの姿ですから、ラインは人格化した資本として意志を持つ存在(物象化)となっていて、けして、資本が物となっているのではないですね。自己増殖する意志を持った価値がラインの姿をとって、労働の規律を強制しているのです。

文化知を作り出すことが、そこでのテーマとなりますから、三里塚や沖縄、そしてシャブコンの生産拒否をする関西生コンなどの「別の価値観」をつくりあげる運動と協同することが課題になってきますよね・・・

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Re: 労働力の支出の代価としての賃金――という範疇

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/54

hirohiro
2008年12月21日

> No.28[元記事へ]

私の投稿に対して精密な返信をありがとうございます。労働過程論が出てくるとは多少意外ですが、杉本さんがこれまで各所で なされた投稿を多少なりとも追っていたので、納得するところでもありました。資本-賃労働関係を形態規定(=労働過程と価値増殖過程との二重性)として把 握するということ、およびその規定性が物の対象的属性として現象するがために、それを物そのものの属性として意識するという物神崇拝的転倒が生じるという こと、これらに対する批判が重要である、このようなことが問題となっていると思いました。
労働過程論に対するコメントをする前に、労働者協同組合と賃労働との関係について、杉本さんの議論も参照しつつ、私なりの見解を示しておきます。
「労働者協同組合は、労働者が出資金を出し合い、労働者が協同経営を行い、自ら労働に従事する、出資・経営・労働の合一した「新しい働き方」」という上田仁氏の定義は、共通の了解事項だと思います。このような定義として労協を考えるのならば、杉本さんが言われるように、
>資本とは、無限に価値増殖しようとする人格化した資本であり、資本家として表れる意志を持った存在なのです。しかし、労働力と労働対象諸条件との分離の なかで生産手段が資本となるのですから、労協では、それは結合されており資本関係は発生しないのです。(Re: 「労働が資本を使う」労協)
ところが問題となっているのは、>ワーカーズコープに雇用された労働者(同)ということですから、ややこしいのです。実態を精査したわけではないので、正 確なところが理解できないのですが、運営団体としては労協であるが、運営事業においては通常の雇用形態=賃労働がなされているということでしょうか。その 場合、「出資・経営・労働の合一」が成立していないのだから、その事業体は労協ではなく、私企業ということになると思います。
「出資・経営・労働の合一」が資本-賃労働関係の廃棄であるというのは、それが労働と生産手段との分離を廃棄しており、生産手段が労働者の共有となってい るという意味でしょう。つまり、生産手段の処分権として経営方針の決定権が労働者に認められているということです。出資はしているが経営に関与できない、 口出しできないという場合は、「合一」は成立しておらず、労協ではないということになるでしょう。
労働と所有の分離としての資本-賃労働関係の廃棄という核心との関連で、労働過程論が杉本さんによって展開されていると思います。長くなるので、稿を改めて考えたいと思います。

Re:労働力の支出の代価としての賃金――という範疇

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/28

杉本 一平
2008年12月17日

> No.27[元記事へ]

hirohiroさんへのお返事です。

hirohiroさん卒直な質問を頂きました。
次の方々が、次のようなことを述べています。
http://associated-work.jp/02hatena.html
協同労働って何?
NPO法人との違いは?
NPO法人も公益性が強い、非営利の活動をしていますが、そのベースは、ボランティア(有償、無償)です。
「協同労働の協同組合」の場合、継続性のある<労働=対価をお金でもらう>により、そのミッションに取り組みます。
事業性の強い仕事をしているNPO法人も、かなり増えていますが、むしろこれらの法人の多くは<労働を通じて、公益性を求めている点>で協同労働の協同組合の理念に近いものがあるように思います。
また、活動する人たちの組織へのかかわりで見た場合、NPO法人は、参加する人(構成メンバー)に出資の規定はなく、ボランティアベースでミッション達 成を目指す<かかわり方>となりますが、協同労働の協同組合では、参加する人(組合員)は、お金を出し(協同で出資)、労力を提供(協同で働く)という、 積極的なかかわり方となります。
このようにお互いの組織が目指している姿には、違いがあります。

ここでのNPO法人と協同労働の協同組合との区別は、Hirohiroさんも、そして私も、どなたでも合意できることです。
しかし、
>「協同労働の協同組合」の場合、継続性のある<労働=対価をお金でもらう>により、そのミッションに取り組みます
――に対しては、そのとおりであり、また、そのとおりではない二つの答えが出てきます。

その理由を、私は以前にこう述べています。

Re協同組合理論問題解決に向けたお願い投稿者:杉本投稿日:2008年 8月18
>労働者は労働力商品・・・
という規定の下で、論議すれば、「労働者生産協同組合で働く」――ことに前提されている現象としての労働力の支出の代価としての賃金――を認めなければな りません。必要労働と剰余労働もみとめねばなりません。つまり、この設問には解答が決められているか、あるいは回答不能なのです。

hirohiroさん
>労働力の支出の代価としての賃金――という範疇を介在させれば、労協に参加費用を支払い・協同運営する人も、労協で賃労働する人も区別できなくなります。「資本を必要とするが資本家を必要とはしない」と述べるリカード派社会主義の誤りがここには一つあります。
私達の脳内を支配するスターリン経済学の批判について、わたしは次のように述べて、その問題の解決の一分野について次のように述べています。次の見解につ いて、貴方の意見がいただければ幸いです。勿論、価値形成過程・価値増殖過程についても未来掲示板にて私は述べていますので、しばらくして再掲したいと思 います。

労働過程 投稿者:杉本 投稿日:2008年 1月 8日(火)

①労働過程では生産手段と労働力は対立しているのか?
「すなわち、生産手段は、あらゆる労働過程の要素として観察されている。この労働過程の内部においては、それは生産の質量的要因として人的要因たる労働力に対立しているのである。」(『資本論註解』ローゼンベルグ第一巻第一分冊P273第七書房刊)
「そして前記の労働対象とこの労働手段とが生産手段と総称される。こうして生産的労働の要素をなすものは、主体的要素である労働力と客体的要素である生産手段とに大別されるのである。」(『資本論入門』岡崎次郎著国民文庫)

上記のように、<労働過程では生産手段と労働力は対立>と述べる、両者の主張は、彼独自のものでなく、以下紹介する第二インターの首領カウツキ―のものでもあったのです。

②労働過程と生産的消費の混同
カウツキ―の『資本論解説』から紹介します。
「2 商品生産の労働行程
労働用具は人類の発達上最も重要なるものである。生産上の様式は先ずこの労働用具によって決定される。労働用具によって決定された各生産方法は更にその特殊の生産方法を決定し、それに法律上、宗教上、哲学上、ならびに藝術上の相応した上部建築を与える。
生産機関(即ち労働対象および労働用具)と労働力とは、あらゆる生産方法の下において、使用価値生産の、換言すれば労働行程の要素をなすものであるが、 然し此行程の社会的性質は、生産方法次第で種々異なってくる。」(『資本論解説』P114~115 高畠素之訳大正13年刊而立社発行)

上記から理解されるように、「生産機関」とは生産手段のことであり、それと、労働対象や労働手段との差異はなく同一概念とされている。ところが、生産手段 は、生きた労働の対象的要因でしかないので両者は分離している。しかし、労働過程の三要素(労働・労働対象・手段)であればそれらに分離は無く融合してい る。

それらの混同の原因が、分離と融合にあるとマルクスは主張している。
「過程は生産物においては消失する。過程の生産物は、使用価値であり形態変化によって人間の欲求に適合させられた自然素材である。労働はその対象と結合した。労働は対象化されており、対象は加工されている。」(『資本論』五章)

マルクスさん「労働はその対象と結合した。労働は対象化されており、対象は加工されている」ことが、その結果としての使用価値として現れる労働生産物では、消失して、それらの融合は見えないという。
この融合こそが、労働過程を示すことについて、草稿でマルクスはこう述べている。

「現実的労働が用具を取得する(わが物とする)のは自らの手段としてであり、材料を取得するのは自らの活動の材料としてである。現実的労働は、これらの対 象を、生気を与えられた肉体として、労働そのものの諸器官として取得する過程である。ここでは材料は、労働の非有機的な自然として、労働手段は取得する活 動そのものの器官として現れる。」(『資本論草稿集』4P90)

「現実的労働は、これらの対象を、生気を与えられた肉体として、労働そのものの諸器官として取得する過程」――工業ではなかなか見出し得ないのですが、過 程の進行する姿の見える農業では明白ですね。何百年と続けられている自然に支えられての人間と自然の格闘を垣間見せる段々畑の美しさ・感動がそうです。

融合された両者として、「労働手段は取得する活動そのものの器官」である――
のに、ところが、その結果としての使用価値・労働生産物を見ると、転変してしまうのですね。

「したがって、諸生産物は、それらが生産諸手段として新たな労働過程に入りこむことによって生産物という性格を失う。それらはもはや、生きた労働の対象的 要因として機能するだけである。紡績工は、紡錘を紡ぐ手段としてのみ取りあつかい、亜麻を紡ぐ対象としてのみ取りあつかう。」(『資本論』五章)
生産手段と生きた労働とは融合せず、分離しているのです。

そこで、次のような表象が発生するのです。

「彼(資本家)の立場からは、労働過程は彼が買った商品である労働力の消費にすぎないが、しかし彼はこの労働力に生産諸手段をつけ加えることによってのみ、それを消費することができる。」(同上)

生産手段と労働力の「生産的消費」による生産物の形成とは、超歴史的な労働過程ではなく、今日の資本制的生産を抽象したものなのですね。生産的消費と労働過程との無区別となれば、商品生産の労働過程と価値形成過程の二面的性格は、理解できないものになりますね・・・

③マルクスが労働過程を主張することの意義
マルクスは、「労働過程」として提起する意義をこう述べていたのです

「原材料および労働用具として労働によって消費されるのは、資本家ではない。また消費するのも資本家でなくて、労働者である。そこで資本の生産過程は、資 本の生産過程として現れずに、生産過程そのものとして現れ、また労働と区別された形では、資本は、ただ原材料と労働用具という素材的規定性でだけ現れる。 経済学者たちが、資本をあらゆる生産過程の必要な要素として説明するために固定化するのは、この側面――即ち恣意的な抽象であるばかりでなく、過程それ自 体のうちで行われる抽象――である。・・・略・・・社会主義者たちが、われわれは資本を必要とするが資本家を必要とはしないと言うのも無理はなかろう。そ の場合資本は純然たる物と考えられているのであって、生産関係とは考えられていない。」(『経済学批判要綱』ⅡP223)

「そこで資本の生産過程は、資本の生産過程として現れずに、生産過程そのものとして現れ」とは、「生産的消費」を批判するものであり、物としてのみ現れる労働対象諸条件が、商品の生産過程の一面では物象であることを批判するものだったのですね。

これまでのカウツキーの主張する労働手段体系説に対しての批判は、
「技術とは人間実践(生産的実践)に於ける客観的法則性の意識的適用である。」(『弁証法の諸問題』)であったのですね。しかしこれでは肝心の「生産的消 費」への批判が無く、物象化に伴う物化の批判が出来ないのですから、――「われわれは資本を必要とするが資本家を必要とはしない」リカード派社会主義は批 判できないですね。

Re: 労協内部での制度的根拠とは?

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/27

hirohiro
2008年12月16日

> No.26[元記事へ]

はじめまして。最初の投稿はミスです。すみません。榎原均さんのホームページ経由でこのページを知ったものです。伏見ボランティアセンターの騒動について、そもそも労協ではないのでは、という疑問があります。

>雇用労働ではない労協では、労働と資本とは対立した関係になく、だから、「労働が資本を使う」こともありません。こんな基本概念での混乱がここに はあるのです。資本とは、無限に価値増殖しようとする人格化した資本であり、資本家として表れる意志を持った存在なのです。しかし、労働力と労働対象諸条 件との分離のなかで生産手段が資本となるのですから、労協では、それは結合されており資本関係は発生しないのです。

杉本さんが指摘されるような状態が保証されるのは、経営当局と労働者が自由に入れ替われる輪番制やいつでも罷免可能な選挙制による経営当局の選任が存在す る場合のみでしょう。モンドラゴンではそのような体制になっていると記憶しています。投稿を読むかぎりでは、伏見は当局と労働者とが分離されているような きがするのですが、どうなのでしょうか。労協に名を借りた新たな搾取形態が発生しうる可能性を感じています。

Re:> 労協の理念

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/23

杉本 一平
2008年12月14日

> No.21[元記事へ]

anonymousさんへのお返事です。
返事が遅くなりまして、すみません。

> ■伏見ボランティアセンターで、また異常事態!?■

この投稿記事は
http://www.news.janjan.jp/area/0812/0811292477/1.php
「なごやボランティア・NPOセンター」依然、経営側の暴走続く
――という2008/12/01JANJANニュースにほぼ同じ内容が記載されていますね。

、労働者の権利、人間としての尊厳を、全て粉砕!!!

「なごやボランティア・NPOセンター」の職員のなさっていることの一つに次のことがあるようですね。
http://www.n-vnpo.city.nagoya.jp/news/biz_bosyu.html
なごやボランティアNPOセンターからのお知らせ
地域密着型ビジネス支援施設【COMBi本陣】管理運営NPOの募集
地域密着型ビジネス支援施設【NPO活動支援施設】入居団体の募集について
当施設は、空き教室を起業家やNPOなどに事務室として提供するとともに、両者の連携により地域に密着したビジネスの創業と支援を図ることを目的に、学 校統合にともなう旧・市立本陣小学校(中村区)の跡地を暫定的に利活用した地域密着型ビジネス支援施設「COMBi本陣」として平成18年4月に開設いた しました。

anonymousさんは
> ■自治労ワーカーズコープ職員ユニオン(通称: イキナリ労組)■
を名のっているのですから、この労組の人だと思います。そして日常的に、上記のような仕事もなさっているのだと思います。
そうしたら
> 労協の理念、労働者の権利、人間としての尊厳を、全て粉砕!!!
という現実に怒るのも人一倍であろうかとご推察します。
次の記事もご存知と思います。
http://www.news.janjan.jp/government/0809/0809157277/1.php
なぜ労働者協同組合か 行政の『安上がり』受け皿の危険―「協同労働の協同組合」法制化市民集会に参加して
上田仁2008/09/17
>生協等と比較して歴史の浅い労協運動が、政府の新自由主義政策という舞台を得て、その経営・専門性に関する未熟性にも関わらず、運動として、いわば「発 展してしまった」。その中で法制化の動きも活発化した。それは時代の要請ではありますが、その一方で、労協の側に対して、所与の時代条件に安住して事業高 を追い求めるのではなく、「なぜ労働者協同組合でなくてはならないか」との存在意義の自己確認を求めているものと思います。

そして次のことも報告しています。
>さらに笹森氏は、連合会長を引退するまでの40年の労働組合運動の経験について語りながら、「労働組合運動の(成果たる労働法の)効果が波及しない労働 者をどう守るか、労働組合というガードのない現代の非正規雇用労働にどういうガードを作るかが問題」として、雇用されない働き方 = 協同労働に従事する働く人のためのガードが協同労働法の法制化であるとしつつ、「雇用されない働き方は(資本主義社会への挑戦であると同時に)労働組合運 動に対する挑戦であると指摘しました

これはまさに、連帯労組関西生コンの挑戦していることですね。

そうしたら、
>Yさんに対する契約不履行は棚に上げ、補
> 償金等を工面する努力をせず、自身の営業・経営の自由を優先する当局の対応
> は、企業倫理のみならず、社会道徳にも反するものであり、何より「労働者協
同組合」の看板に自ら唾を吐く行為と言わざるを得ない。

このような告発では、失礼ながら趣旨がちごうているのではありません・・・
といわざるをえません。なぜなら、「労働者協同組合」も企業も同じと貴方の論法は断じているからです。貴方の記事を読んだ人々は―労協も会社も同じか――との印象を受けとるからです。

上田仁氏は、すでに次のような問題点を提示されています。

http://www.news.janjan.jp/living/0809/0808315930/1.php
>労働法軽視「偽装経営者」の温床になるか?市民会議提案の労協法案を考える
労働者協同組合は、労働者が出資金を出し合い、労働者が協同経営を行い、自ら労働に従事する、出資・経営・労働の合一した「新しい働き方」として注目を集 めつつあります。筆者は労働者協同組合がその根拠法を持つことに反対するものではありませんが、市民会議の提案する法案(素案)を精査すると、法案が「労 働を商品としない」との労協の本旨に相反するのではないか、ワーキングプアの新たな火種となりかねないとの不安を禁じえません。率直なところ、学識者が労 協の労働現場を知らずに起草したのではないかと感じます

>法案骨子の「従事組合員の労働者性」を読むと、「『ワーカーズ協同組合』法人は、『バランスを持った人間らしい働き方』を理念としており、その最低保障 のため、組合法人を<使用者>、従事組合員を<労働者>として、法の保護下におきます」とあります。「最低保証のため」に「法の保護下にお」くということ にご注目願いたく思います。つまり、労協法案における「労働者」の定義は、「雇用保険法」および「労災保険法」におけるものに限定され、労働法における 「労働者」としての権利は上記2法を除いて保証しないということです。労働基準法、労働組合法、労働者派遣法、最低賃金法等における労働者の権利を保証は しないとのこと。

>明治大学経営学部専任講師の小関隆志氏がネット上にて労協関連論文データベースを公開されていますが、1999年の労協法案第1次案の段階においても、 労協研究者から労働者保護規定が不十分との指摘がなされています。また、その一方では「(労協内において)労働組合の結成は問題ないが、団交やストはでき ない。団交やストを認める憲法の考え方を再検討すべき。」(上記DB記載による。『協同の発見』91号・野川忍氏)との恐るべき主張もなされています

>法案が「労働を商品としない」との労協の本旨に相反するのではないか、
――と、労働力を商品化した賃労働制を克服する建前への実施方策の不在も指摘されています。

労協には賃労働制廃止の実施方策の不在――があるのではないでしょうか?

空文句の労協の賃労働制批判――の点検が要求されるのではないでしょうか???
この点を追求する理論的武器の研磨として、私は、本掲示板にて
Re: 「労働が資本を使う」労協
と疑問点を掲示していますし、
Re協同組合理論問題解決に向けたお願い
関西生コンの麻生さんに、理論問題の討議
を呼びかけています。

anonymousさんに、どうかこの点での協同作業を推進されることを呼びかけるものです。

指定管理施設で官製ワーキングプア?!

全国一般労働組合 広島労働相談掲示板
UNION 2008/11/29
http://sky.geocities.jp/zenkokuippann/hiroshima/

指定管理施設で官製ワーキングプア?!

■伏見ボランティアセンターで、また異常事態!?■
■ みなさまのご支援、ご協力をお願いします ■

非常勤の約束が、イキナリ給料半分に!!
非常勤(自給850円)切り捨てか!!

理事会決定の名のもとに暴走所長!!
労協の理念、労働者の権利、人間としての尊厳を、全て粉砕!!!

●非常勤イジメ?激減された勤務シフト

5月に不当解雇事件が起きた「なごやボランティア・NPOセンター」
(特定非営利活動法人ワーカーズコープが名古屋市の指定管理者として受注)
で今、またもや無茶苦茶な問題が起きている。
前回の被害者Nさんは、「態度が悪い」「組織に対して情熱が感じられない」
などという、難癖としか言いようがない理由での即日解雇を言い渡されたわけ
であったが、その事件の余韻も醒めやらぬうち、今度は非常勤職員が勤務日数
を激減されているのである。

●常勤になれるはずが…突然の月6日!? 給料は半分に!

シフトを削減されているのはYさん。
長く利用者としてセンターに関わってきたが、5月以降スタッフとして勤務。
センターの業務を充実させようと、残業もいとわず常勤職員以上に奮闘してき
た人物である。そもそもYさんは、いづれは常勤になることを検討するという
契約で雇用されており、8月3日には、ワーカーズコープ専務理事、坂林哲雄
氏によって「8月15日からは常勤でよろしく」と東海支部長川辺晃氏、前セ
ンター所長中里喜好氏、現センター所長松垣芳信氏も同席のうえで言い渡され、
遂に正規雇用で働くことができると、期待に胸を膨らませていたところであった。

ところがその後、常勤の話は遅々として進まないばかりか、8月27日、
「来週から勤務は月6日になる」と言い渡される。

Yさんはもともとフリーのカメラマン。これまで自分の腕一本で生きてきたの
だが、労働者ひとり一人が出資し、すべて労働者の話し合いによって運営して
いく「労働者協同組合」=ワーカズコープの理念に期待し、自身の仕事を整理
して、常勤での勤務に備えていた。そこに待ちかねていたのが今回の事態であ
る。8月までは月に20万ほどの給与があったYさん。その後、イキナリ労組は自
治労と共に奮闘し、労使交渉の結果、勤務は月14日ほどに回復したもの、それ
でも給与は半分以下、手元に残る金額は、生活保護の基準額よりもはるかに少
ない。黒猫1匹を養い、糖尿病を患いながら生活しなければならないYさんは今、
生活保護申請をしなければならないのではないかと、真剣に頭を悩ませている。

●「経営問題」を持ち出して逃げる当局
―「労働者協同組合」の理念が泣いている―

またYさんの勤務時間を削った割には、経営当局が支出の見直しや財政の引き
締めに真摯に取り組んだ形跡はほとんど見られない。8月の終わりから、センタ
ーには東京などからゾクゾクと人員が送り込まれてきた。
「本部から来た」という彼らは、何をするでもなく利用者用のフリースペース
に居座り、昼寝にかまけていたかと思えば、職員に対して突然誓約書の提出を
強要し、応じなければ自宅待機を命ずるといった許しがたい不当労働行為を行
った。彼らの出張費用を出費するだけの余剰があるのであれば、Yさんを常勤
職員として雇うべきではないのか。Yさんに対する契約不履行は棚に上げ、補
償金等を工面する努力をせず、自身の営業・経営の自由を優先する当局の対応
は、企業倫理のみならず、社会道徳にも反するものであり、何より「労働者協
同組合」の看板に自ら唾を吐く行為と言わざるを得ない。

●一刻も速い「ボランティア・NPOセンター」の人間性回復を!

Yさんの生活はすでに、破綻をきたしている。
それまで、NPOセンターの勤務で20万以上を稼ぎ、ほかの仕事でも収入があった
人が、いまは10万以下、生活保護基準以下で生活をしいられている。家賃も滞
納し、病院にもまったく通うこともできず、糖尿病も悪化しつつある。このよ
うな甚だしい人権侵害をそのままにして、どうやってボランティアやNPO活動
の支援拠点をつくってゆくことができるのか。
ワーカズコープ代表理事永戸祐三氏及び、名古屋ボランティア・NPOセンター
所長松垣芳伸氏は、Yさんの労働者としての権利と人間としての尊厳を尊重し、
速やかにYさんを常勤職員にするべきである。

私達自治労ワーカーズコープ職員ユニオンは、Yさんに対する契約の履行を求
めて、あらゆる対抗手段を講じていくつもりである。
全ての志ある人の協力を願いたい。

Re: 「労働が資本を使う」労協

http://8918.teacup.com/rev21/bbs/7

コモンズ掲示板 2008年 9月17日

> No.6[元記事へ]

永瀬ユキさんへのお返事です。
YUKIさんは次のところでこう述べていました。
「自由・論争掲示板」
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4701;id=01
>グローバリゼーションの本質=国際金融資本や多国籍企業による地方や弱者への侵略

地域で自律した経済圏を作り、貧乏人が勝手に生きる環境を作ることは、
彼ら(グローバリゼーションの主体)が最も恐れることです。

私は、この意見に大賛成します。であれば、YUKIさんは「労働者協同組合」が、この
>地域で自律した経済圏を作り・・・・・・だす

試みであることを認めるはずなのになぜ拒否しているのか?の疑問が出てくるのです。
ワーカーズコープに雇用された労働者であれば、資本―賃労働関係にあるので、
労働組合に団結し、組合的利益を守るために闘うのは当然なことです。
しかし、労働者の組合的利益のみならず、協同組合労働の利益を守り発展させ
るのも又ワーカーズコープの目的である筈です。どうしてこの点への追求が
労組側に無いのか?YUKIさんは問題とすべき筈です。

次のはネットから探した、協同組合労働の視点です。

http://homepage3.nifty.com/koseki-t/rombun6.html#top
論文6. 「労働者協同組合」『大原社会問題研究所雑誌』2000年7月小関隆志
(4)利潤・搾取論
マルクス経済学で取り上げられる利潤・搾取問題は労協にも持ち込まれ、労協には搾取があるか否か、利潤目的か否かなどが問題とされた。
営利企業と労協とでは、利潤の性格が根本的に違うという説が登場した。
例えば、営利企業は「資本が労働を使う」から、他人の労働の搾取によって資本増殖を利潤として追求するが、「労働が資本を使う」労協は、労働に応じた分配と労働条件改善などのために資本増殖を追求するから異なるという説(黒川[1993A])。
営利企業は利潤至上主義だが労協は利潤目的ではないという説(手島[1993])。営利企業は資本家が利潤を資本蓄積分と労働者分に配分するが、労協は労働者が配分するから違うという説(角瀬[1989])。
使用目的がどうあれ、結局G―W―G'で生じた利潤であることには変わりない。「非営利」を謳って営利企業との違いを強調するが、利潤がゼロならば市場経 済の中で生き残るのは不可能であり、利潤は否定できない。そこで「非営利」概念の解釈を、「利潤が無い」(Nonprofit)ではなく「利潤目的ではな い」(Not-for-profit)にすべきだとの主張も出てきた。
だが、利潤目的か否かの判断基準はあくまで主観的レベルにとどまるもので客観的に判断しにくいし、実態としても、全ての労協が利潤目的でないとか、全ての営利企業が利潤至上主義などと一概に決め付けることはできない。

>「労働が資本を使う」労協は、・・・・
という視点では、他資本との無慈悲の競争下に自らの経営があるのだから、安い労働力の使用に傾くのも必然であるわけです。雇用労働ではない労協では、労働 と資本とは対立した関係になく、だから、「労働が資本を使う」こともありません。こんな基本概念での混乱がここにはあるのです。資本とは、無限に価値増殖 しようとする人格化した資本であり、資本家として表れる意志を持った存在なのです。しかし、労働力と労働対象諸条件との分離のなかで生産手段が資本となる のですから、労協では、それは結合されており資本関係は発生しないのです。
ところが労働者協同組合が、自らの目的を果すべき理論的根拠での動揺が、あるのですから、ゆくえ定まらないのも了解できる筈です。この点での理論的解決がなければ、社会革命など不可能です。

追補です。次のところを見つけました。
http://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2003/j-index.htm#133
『協同の発見』2003年4月第129号
http://jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2003/129/129-iwami.pdf
労協に「資本」の概念は当てはまるか